大学の授業で質問をするということ

大学の授業で質問することについての自分の考えのメモです。 授業で質問することは大事だよね、という話です。

前置き

私は現在、大学3年生です。 私が履修している授業で授業中に講師に質問をする人はほとんどいません。 そんな中、私は空気を読まずにどんどん質問しています(しようとしています)。

なぜそのように質問をしているのか、ということを言語化したいと思います。

質問はアウトプット

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

「学びを結果に変えるアウトプット大全」では、インプットを通して成長するためにはアウトプットをすることが重要だとされています。そのアウトプットの方法として「質問をする」ことが挙げられています。 大学の授業はとても高度なインプットをすることができます。しかし、それをもとにアウトプットをしなければ本当の意味で勉強した・成長できたとは言えません。 何冊ものハウツー本を読んでもそれを実践しなければ現実は何も変わりません。それと同じように大学の授業も何もアウトプットをしなければ意味がないのです。

質問をするためには授業を集中して聞き、理解しなければいけません。その理解の結果が質問になるのです。

質問ができるのは貴重な機会

大学の授業の講師をするような人に直接質問できる機会は本当に貴重です。 授業は履修者全員に向けての内容ですが、質問への回答は自分の理解や疑問に応じた内容です。 自分のために考えられた回答を即座にしてもらえるのは授業だからこそです。 メールで質問したとしても返信がいつ届くかわからないし、授業の後なので記憶も薄れてしまいます。 確実に回答を得ることができる機会は授業中だけです。 そんな時間に質問をしないのはもはや損です。

質問する奴は偉い

「質問する奴は偉い」というスライドのツイートが昔バズっていました。 別に偉くなりたいとか、褒められたいわけではありませんが、質問をする時点で偉いのです。

言い方は悪いですが、初めに馬鹿な関係ない質問をすれば「こんなことでも質問していいんだ」と他の人が質問しやすくなります。極論、質問をする時点で偉いことは確定しているのです。 良い質問ならそれはそれでよし、馬鹿な関係ない質問でも他の人が質問しやすくなったり話が広がったりするのでよし。質問をすることで悪いことはほとんど起きません。実体験としても質問をした結果、悪いことが起きたことはありません。

質問する奴は偉いのです。

まとめ(雑)

誰も質問しないんだったら私が質問します。 私にとってはメリットしかないので。